はじめまして、私は103回生で、新潟県の南魚沼市に住む須藤(旧姓・平山)佳子と申します。
 私事で恐縮ですが、私が県商を志望した動機は祖父が母校の卒業生だったためです。しかし、祖父が県商を卒業したのは何しろ大正時代のこと。その後祖父の家が神戸大空襲にもあって 祖母も無くなり、当時の祖父の写真や学校時代の資料は皆無となりました。このため、祖父のことは母から聞かされていただけで、孫の私は写真も見たことがありませんでした。その後祖父が 大正7年卒の36回生だったことを知り、昨年の『同窓の集い』に参加し学校に保管されていた「60年史」の中に卒業生全員と写っていた祖父の卒業写真を見せて頂きました。 それは感無量の出来事でした。

 私は高校時代、産業調査部(サンチョー)に所属。当時(昭和60年頃)のコンピューターはまだ1台で部屋を塞ぐほど巨大で、部活動はそのプログラムを作成するのがメインでした。 この巨大なコンピューターは膨大な熱を出すため、部室は当時の高校としては珍しく、大変立派なエアコンが完備されており、夏はこのクーラーのある快適な環境で過ごすことが楽しみでした。 あれから25年、現代はコンピューターが無くては社会活動が出来ない時代になりました。私もノートパソコンと睨めっこの毎日ですが、キーボードを叩きながら、時々、当時のことが懐かしく甦ります。
 県商は昔から、他の高校には無い特殊な科目の選択が出来ました。その一つが中国語です。当時、公立高校で第2外国語に中国語を教える学校は全国でも極めて少なく、私は中野先生の中国語の 授業が大好きでした。授業の一環として恩師の中野先生のご紹介で文通を始めた中国人の友達は、いまでは日本に帰化し私の親しい友人の一人です。高校で教わった中国語を忘れないため、昨年、 卒業後初めて「中国語の検定試験」を受けました。恥ずかしながら先ずは4級にパス、次は3級に挑みたいと思っています。
 私には双子の女の子がありますが、その子供たちも来年は高校生です。卒業して今年で25年、人生の折り返し点を過ぎましたが、私は日本で最古の歴史を誇る母校で学び、 そしてまた素晴しい恩師や先輩に恵まれたことを何より幸せに思っています。
 次の方は、高校時代、赤いトレーナーに高校生らしくないヘアスタイルが印象的でした。一度も会話を交わした事の無い水戸慎一君です。昨年の同年会で始めて会話をしたという次第です。 それでは水戸君、宜しくお願いいたします。

次は、水戸慎一君です。 輪と話と和 TOPへ