* 本記事については神戸新聞のご好意により「学校人脈」(昭和52年12月3日〜28日連載)を 参考とさせて頂きました。お礼申しあげます。

主な卒業生・関係者(敬称略)

雀部 昌之介

バンドー化学社長・神戸商工会議所副会頭

25回生
明治40年


・県商入学を目指したが、入試に英語があったため、ひとまず関学普通部に入り、 英語を習得する。1年間を受験勉強に充て明治36年に県商に合格。
・ 卒後外国商社などから引く手あまたののなか木綿式調帯の新聞広告に目をとめ、新しい神戸の産業のいぶきを感じて坂東式 調帯(合)入社、会社は榎並充造の率いる新興企業で、興隆期のゴム産業の技術を取り入れ次々と新製品を開発、第1次大戦から 太平洋戦争にかけ、全国にシェアを拡大、手堅い手腕が買われて、社長に就任 (昭和17年)
・ 神戸・水戸等の主力工場が空襲で壊滅状態となった中、大阪で塩化ビニール製品を手にしたとき靴の素材にしたら面白いと考え、 ゴム工業会の役員として会員にそのアイデアを披露し、神戸が「ケミカル王国」となるきっかけになった。
・ 働ける楽しみをいつまでも味わうため「死ぬまで出社する」と言い続けたが勤続70年を祝福されながら89歳の長寿を全うした。

コラム

・ 神戸の造り酒屋の一人息子としてうまれたが、少年時代、経営不振から家は倒産、 薬屋に転業、大邸宅から長屋に移り住んだ。
・ 県商2年進級と同時に阪神電車が開通、自宅近くに魚崎駅が出来て通学が便利になったが、一駅神戸よりの住吉駅から乗車した。 ここからだと一区間の料金ですむ。一駅歩くことで、ムダをぶこうというわけだ。
・ 後年、社会人となっても花柳界には一切足を運ばなかった気質はこの頃から出来上がっていた。
・ 戦後の混乱が落ち着いた頃、新しい試みとして社員と話す機会を持った。毎日2人、社長室(後、会長室・相談役室)に招待して、 茶のみ話をやる。一家の長として社員の悩みを聞き助言する。
・ そこでは、自分も一般社員のつもりで勤続年数をもじって「50年社員」「60年社員」などと称した。

 


元町時代の校門

卒業生一覧