* 本記事については神戸新聞のご好意により「学校人脈」(昭和52年12月3日〜28日連載)を 参考とさせて頂きました。お礼申しあげます。

主な卒業生・関係者(敬称略)

太田 源次郎

ハイカラ商店街(元町)で老舗守る。

28回生
明治43年


・ 両親は鼈甲の本場、長崎の人で、明治18年(85)に神戸に移住。2年後に 元町1丁目に太田鼈甲店の看板をあげる。
・ ここで次男に生まれたが、兄が早世したため、店の後継者として育てられた。高級品の鼈甲は外人にしか売れない。商売上、 まず、語学力が必要。商法も要る。根っからの職人だった父は痛いほどそれを感じていたので、学校へ行け、と命じた。
・ 43年3月県商で新しい、商業教育を身につけて卒業し、すばやく車夫に心づけを手渡し、大男相手に交渉に入る。得意の 英語を操る。ドイツ語・フランス語も自然に覚えた。鼈甲好きのロシア人とも対等に渡り合い。店を盛り上げていった。
・ 米騒動(大正7年)で1枚100円もするショーウインドーを粉々に破壊されたこともあった。阪神大水害(昭和13年)の 被害にもあう。だが、元町のすずらん灯の灯は消えず、誓文払いの「買いなはれ」の声が響き、神戸を代表するハイカラ商店街は 健在だった。
・ その元町が、どん底時代を迎える。日中戦争から太平洋戦争への激動期。慢性的な品不足に物資統制が加わり、商店街も解散 同然。若者には次々と召集令状が届く、太田も開戦直前に妻を亡くし、5人の息子を戦地に送った。
・ 商売が出来ず、空襲が激しくなり、移転のために長田区西代の親戚の家に居たところを、昭和20年6月神戸を襲った350機の B29、焼夷弾だけでも3000トンというすさまじい空襲に会った。
・ 元町炎上を聞き、火炎と猛火をくぐって店へかけつけたがが、跡形もない。熱風のなか焼け跡整理にのりだす。
・ 元町の回復は早く、銀行から金を借り、仮店舗を建てた。その後、元町は個性的な商店街に発展した。

コラム

・ 三宮・元町の商店関係の県商卒業生は、センター街の「香月」の原田幹雄(57) 「ナガサワ文具」の長沢進(65)元町の「福芳商店」の福羽幸雄(61)がいる。また、神戸駅前の「菊水総本店」の菊水吉之助 (36)、健二郎(36)、「登美屋家具」の今橋々博之三郎((51)、市内の企業では、「神戸家具」社長高野敏明(56)、 「柏井紙業」柏井謙一(58)「カワムラサイクル」の川村隆弘(56)、「桑田硝子」桑田正造(59)らがいる。

 


旧 神戸市街図

卒業生一覧