* 本記事については神戸新聞のご好意により「学校人脈」(昭和52年12月3日〜28日連載)を 参考とさせて頂きました。お礼申しあげます。

主な卒業生・関係者(敬称略)

丸尾儀兵衛

明石市長・財政再建に取り組む・丸尾製粉(丸尾カルシュウム)社長

30回生
明治45年


・ 昭和30年にリコールの判決を受け田口市長が辞任した結果行なわれ市長選に、 神戸市との合併反対同盟推薦を受けて立候補、元市長・前助役などの対立候補を破って公選3代目の明石市長に当選した。
  ・ 当面かつ緊急の課題は、財政再建にあり、これがまた経済界出身の市長が誕生した背景でもあった。この後、34年・38年と 当選し、財政難に悩む明石市の再建を目指した。
・ 31年には、市政の重要課題に関するアンケートを実施、神戸市との合併問題による市政混乱の余韻が残っているなか市民と 直結した市政を目指したが、その前途は厳しい事が予想された。自身「この新しい道は決して楽な道ではありません。名にしおう 棘の道です。行手には、険しい断崖があります。ときには風雪の難があります。そして、心の迷い、おののき、怒り、愚痴は絶えず 身をさいなみます。この途を進むのは理事者と議員ばかりではありません。12万市民のみなさんも、むろん、ともに歩んで 頂かなければなりません。」と市政だよりで訴えた。
・ まず、赤字削減のために極度の経費削減が行なわれる。市会議員の定数が36から24に減、市会議員・各種委員会委員・ 市3役の報酬の自発的返上、交際費削減、機構縮小人員削減も行なわれ、市民病院,バス事業は独立採算化された。納税協力会を 設立し、税の増収に努めた。 ・ また、地方財政再建特別措置法の適用を受け、再建団体となって財政再建債を起債した。
・ 市役所の機構も17課を10課制にする大胆な改革が行なわれ、支所を含めて簡素な組織に移行し、職員数も639人だったものを 599人と40人の実質減となった。
・ 財政再建は意外に早く軌道に乗った。最大の要因は経済成長により税収が大きく伸びたことにある。32年には財政基金制度を 創設し、余剰金の一部を組み入れるようにし、また、再建債を発行、その後も順調に計画を遂行して7年目にあたる37年度に終了した。
・ 財政再建が軌道に乗り始めた33年度に「再建から発展へ」を目標に、建設関係の充実を眼目に建設課の建設局へ格上げ、 総務部を設置するなどの機構改革が行なわれた。
・ 神戸市との合併運動は、まだ断続的におこった。

コラム

・ 当時、明石市は2つの懸案を片付けなければならなかった。財政赤字問題と市を 2分する神戸市との合併問題である。丸尾市長は「明石は、西するか東へゆくかなど時々一部の人々にいわれたが、ますそれは あまりに明石の実力を知らぬ自信のない言葉です。東西南北の市町とよく連携し連合し、明石市自身の持っている特異性や立地条件を 生かして、自分の力でますます向上発展するのです。」と表明し、阪神工業地帯と播磨工業地帯の狭間で取り残されるのではないかと 答えむしろ当面独立性を保つことによって地理的特徴を生かそうと考えていた。
・ 昭和30年代、財政赤字は明石他の多くの自治体で発生していた。「地方財政再建特別措置法」が制定され、赤字の字自体のうち、 財政の再建を行なおうとするものは、財政再建計画を策定し、財政再建団体となり、赤字を棚上げするために財政再建債を発行すること が認められる。債権発行によって資金繰りを可能にし、同時に債権の元利を年次計画によって償還しつつ、財政運営を合理化しようと いうのが法の趣旨であった。


明石大橋


明石大橋


明石公園菊花展

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