* 本記事については神戸新聞のご好意により「学校人脈」(昭和52年12月3日〜28日連載)を 参考とさせて頂きました。お礼申しあげます。

主な卒業生・関係者(敬称略)

三条 東洋樹

川柳人生・人の世を哀歓を込めて歌いこむ(本名・正治)

44回生


校庭のマーキュリー碑

・ 元町4町目の木炭問屋に生まれ、将来は商社員にと自ら青写真を描き、神戸小学校から 県商へすすむ。
・ 入学間もなく、国語授業で伊勢・星学館出身の教師が島崎藤村の「破戒」を教材に厚熱っぽく語ったのを涙さえ浮かべて聞き 入って、文学に興味を持つ。それから、藤村、谷崎等の作品を読みふける。そのうち、生来の創作意欲に火がついて自分でも書きたく なったが、14歳の少年には小説は手に負えない。そこで、短詩型文芸にに目が向き、一番大衆性があり、なじみやすく、都合よく、 また神戸新聞に投稿欄がある川柳に目を向ける。
・ 「笑うにも泣くにも袂口にあてる」を投稿し、これが新聞に載る。やみつきになって投稿を繰り返し、早々と頭角を現し始めたが まだ、趣味の域をでなかった。
・ 卒業を控え、初志どおり鈴木商店の試験を受けたが面接でしくじった。趣味は文学、尊敬する人は谷崎潤一郎と正直に答えた。 大正末期だから東郷元帥とでも言えばよいものをウソがつけず、正直に答えた。生っちょろい文学フアンなど要らん,というわけで 不合格。家業を手伝いながら句作を続ける。戦時中から終戦後しばらくは、木材会社に勤めたが、その後は川柳一筋、文芸の中でも 下積み的存在だった川柳の質的向上を呼びかけ、31年には新聞投稿仲間を同人に「時の川柳社」を結成・主宰。その後県川柳協会 理事長として指導にもあたる。
・ 太平洋戦争さなかの昭和17年頃詠んだ句に「国策に添う小説は味気なし」日増しに強まる思想・言論統制への痛烈な反発で、 時事川柳だからかなり際どいものもある。例えば、東條内閣が成立すると「断という一字首相の眉に見え」と詠む。壇上で「断固」を 連発する東條を皮肉ったものだが、時節柄、僅かでも内容が軍部を刺激すると、たちまち発禁処分となりかねない。ところが、ホコ先は 思わぬ方向に向いた。「三条東洋樹」の呼び名にひっかかってきたのだ。当時の中国人は侵攻を続ける日本人を「トンヤンクイ (東洋鬼)」と呼びおそれた。東洋鬼を号にする男とは何者かというわけだ。改名を迫られて折れて現在の東洋樹を名乗った。発行の 度に軍部が注文をつけて、発売日ガ遅れると雑誌社に泣きつかれた所為もある。
・ 「倒産を予測だにせず靴を買い」は新調の靴で出社したものの社は倒産、不況下のサラリーマンの哀愁、昭和52年頃の句だが、 リストラ流行りの最近の世相にもマッチする。17文字の世界に世相を巧に表現し、文学の世界に反骨の精神を秘めながら、しみじみと 人生をうたい続けた。

コラム

・ 神戸小学校からの進学組では千松福太郎〔34〕がいる。県商から三井銀行に入り、 退職後その誠実な人柄を見込まれ、民生委員,保護司、家裁調停委員のほか、30を超える民間団体の委員、役員となって活躍し、 地域の世話役に生涯をささげた。

 


星陵時代の観桜会

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