・ 09年にハワイオアフ島で生まれる。常夏の島で酒造業を興し、経財的に安定した
父は息子たちの教育のために事業を実弟に任せて帰国。神戸の御影に居を構え、長男幸一郎が小学校を終えると迷わず県商へ進ませ、
次男誠二郎、3男慎三郎も兄の後を追う。
・ 幸一郎は神戸高商を受験するが、複雑な日本語による入試に失敗。アメリカ・オハイオ州のデイトン大学に入り、昭和6年に
日本に戻った。
・ 開拓者の血を引継いた彼は、台湾でコーヒー園を開き、かたわら物産会社を興して内地へコーヒーを持ち込む。然し、太平洋を
はさみ、日米間の雲行きがあやしくなるにつれて身辺に憲兵の目が光りだす。アメリカの市民権を持つため、スパイ容疑まで
着せられる。つけ回され、いやがらせも受け始めた。
・ 一方、誠二郎は広島市役所に就職、慎三郎は長兄と同じ大学へ入学、卒業後ハワイに帰り父の後継者を目指す。ところが当時の
日系人社会では、民族意識からかアメリカの大学を出ても軽く見られる傾向があった。そのせいもあったのだろう再び日本の土を踏み、
東京商大(一橋大)の聴講生となった。
・ 慎三郎は東京商大に籍を置いたため、日本で現地召集を受けた。日本陸軍の少尉として、中国戦線へ、片や幸一郎は神戸で
敵国民さながらの扱いを受け、戦火拡大とともに、事業も行き詰まっていく。終戦と同時に、高独活は米軍少尉として呼び出され、
大阪の進駐軍に勤務を命じられた。
・ ハワイの酒造会社は敵国産業として封鎖されたまま。台湾のコーヒー園も米軍に接収された。
・ まさに八方ふさがり、だが、この開拓者2世はくじけなかった、まず、慎三郎がハワイに渡り、米軍と交渉を始めるが進展しない。
これを聞いた幸一郎は兵役解除と同時に弟の支援にハワイへ、今度は米軍の少尉の経歴を全面に出し、掛合って、ついに、父の創業した
会社を取り戻した。
・ 幸一郎は昭和33年に、慎三郎もホノルル商業会儀所会頭として、日系米人の地位を高め、ハワイの土となった。
・ 海の向こうで、大きな足跡を残したパイオニア達、開拓者精神に富んだたくましい男達である。 |