・ 昭和8年第一神戸商業と改称した県商を卒業、父の事業失敗続きで進学を断念、
就職試験を受けたが、成績はかんばしくなかったようで受験するところは、片っ端から不合格、ようやく帝酸に就職できた。
・ 入社2年9ヵ月後昭和11年1月、本籍地の東京・歩兵第一連隊に入営し、第10中隊に配属され、血を吐くような訓練が続くが
この時点では、軍隊の存在まで疑問を抱かなかった。
・ それが、2・26事件が銀世界の東京でおこり、早暁、非常呼集ラッパが鳴った。初年兵の尾崎も異常に聞こえる。古参兵が叫ぶ
「演習じゃない。本物だ」。完全武装で終結した尾崎らに連隊内での待機命令がでたが、何が起こったのか解らない,
・ だが、そのころ、一部青年将校の指揮で同じ連隊の第11中隊・機関銃中隊ガ出動、蔵相高橋是清らを暗殺したうえ、永田町周辺を
占拠していたのだった。部分的な情報の連続で隊内は混乱した。事実「やった」と叫ぶ兵がいたし、連隊から出動部隊に毛布・食事の
供給までした。ところが29日に戒厳令が出て、反乱部隊の名がかぶせられた途端、尾崎らは鎮圧部隊に属し、たまたま出動させらて
賊軍となった占拠部隊と対立することとなる。
・ 友人の多かった尾崎は割り切れなさを感じた。日頃、上官の命令は絶対服従と教えておきながら一夜明けたたら罪人扱い
とは・・・・その思いが最も鮮明になるのが、反乱軍が帰順してからだ。兵に罪なしとしながら憲兵の厳しい尋問続き、戦時扱いで、
初年兵の尾崎も夜間歩哨に立った。
・ そこで見たものは青竹でなぐる・ける思わず顔をそむけた拷問場面だった。絶対服従の命令で出動させ、今度も命令で処罰を
加える。矛盾を感じた尾崎は初めて軍隊に疑問を持った。
・ もちろん、戦友に社会主義を説かれたことや大金持ちから食事に困るほどの貧乏に転落した体験も預かるところが大きいが、
なんといっても、2・26時事件で感じた矛盾がその後を支えていった。
・ 以後、2度の召集で、計9年間の軍隊生活をする。この間、幹部候補生試験で不利を知りながら事件を口にして昇進を棒に
振ったこともある。
・ 復員後、帝酸に戻り、22年社会党入党、25年に原価計算課長の職を自ら返上、労組執行委員長となる。
・ 昭和27年暮れには、賃上げに越年手当をからませて平均2万8千円を要求、経営者側と真正面から衝突した。組合は、部分スト
から全面的へ波状的に打ち続ける戦術をとり、経営者側はロックアウトで対抗する。争議は地労委あっせんも不調、26日間のスト敢行
で泥沼化したが、言葉の通じにくいフランス人経営者相手にねばりぬいて戦後の数多い組合運動の中でも今なお語り草とされる
神戸帝国酸素争議を指導し、当時としては破格の2万6千円獲得にこぎつけた。
・ これを出発点に芦屋市議、県議、県評儀議長と地方議会、兵庫の労働運動のリーダーと活動の場を広げていった。
・ 支持団体から押されて県知事、参院選に立候補したが落選とニガイ戦いを経験したのち、戦後公安条例の成立史に取り組んだ。 |