* 本記事については神戸新聞のご好意により「学校人脈」(昭和52年12月3日〜28日連載)を 参考とさせて頂きました。お礼申しあげます。

主な卒業生・関係者(敬称略)

神原 末一

言語評論家・兵庫短大講師

55回生
昭和11年卒


・ 5歳のとき父を失い、翌年母も亡くしたため、神戸元町で海運業を営む母方のおばに 育てられ、昭和6年に県商入学
・ 在学中は変わり者で通る。早朝に家を出て1本歯の下駄で高取山に登り、滝場でうたれ、着物・ハカマ姿で登校。
・ 制服は、夏は白、冬は黒の制服にゲートル・編上げ靴だから、とりわけ異様だった。柔道部に籍を置き、心身鍛錬だったの だが・・・・・
・ 変わっていたのは、風体だけでなく、商業学校生のくせにソロバンが大嫌い、あげくに、進学先まで大阪外語(大阪外大) フランス語科へ、本科から選科へ進み、中国語を学ぶ。
・ 一旦、姫路の輜重(しちょう)隊へ教育召集されたが、3ヶ月で「帰宅せよ」との命令がでる。理由がわからなかったが、 徴用の「白紙」が来て合点がいった。語学力に目を付けられて通訳官として南方総軍に配属、身分は軍属、中尉待遇。 ・ 16年夏宇品港から輸送船でシンガポールに上陸する。現地の鉄道・沿線調査の命令をうけ、ベトナム中部のニヤトランへ 単独で飛ぶ、当時、仏印と呼ばれたベトナムのほか、ラオス、カンボジアなどもまだフランスの植民地で、これらの鉄道、飛行場 施設を日本の軍用施設に使うための交渉や軍事事項の話し合いを進展させるのが通訳官の主な任務だったが、事前調査も大きな比重を 持っていた。
・ ニヤトランで太平洋戦争開戦を聞く。ビルマ・タイでの仕事を終え、サイゴンへ呼び戻されて、辻陸軍大佐の半ば専属の通訳と なる。フランス空軍将校との飛行場使用交渉、飲水さえないカンボジア・タイ国境でのフランス軍との衝突作戦。辻の影法師のように 戦線で付き従ったが、戦況は不利になる一方、20年初め、辻と分かれてサイゴンへ帰ったが、危機を感じてハノイへ向けて 脱出する。
・ 終戦後、中国軍の指揮下で、ハノイで現地の鉄道復旧作業などをやり、21年6月に復員船で
・ 帰国後、中、高、短大の教壇に立ち、言語評論を続けた。

コラム

・ サイゴンの日本軍南方総本部で、ノモンハン事件、マレー上陸作戦で名をはせた 小柄な辻政信参謀に会う、その後、辻政信の半ば専属の通訳となる。
・ 辻は、終戦と同時にタイ僧に変装、バンコクから姿をくらませ、ナゾの行動をはじめたが、戦犯解除後日本に姿を現し、衆院、 参院選に立候補保し、当選を重ねていったが、神原は会いにいかなかった。戦争がすんだせいか戦後5年間の間隔が長すぎたのか、 神原にもわからない。
・ 辻は、あくまでもナゾの男だった。36年4月、東南アジア視察に出かけ、ラオス国境付近からまたも姿を消し、生存、死亡説が 入り乱れる。
・ だが、なぜか、神原は辻の生存を信じる。今もメコンデルタのどこかにいそうな気がしてならないという。

 

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