・ 昭和7年、新設の垂水校舎に入学、卒業後は、神戸高商に入学、さらに神戸商大
(現神戸大学)へ進む。
・ 戦時中の繰上げ卒業、昭和17年軍隊生活に入り、19年航空部隊に配属され、ラングーン、プノンペン、サイゴンを転々とし、
終戦はメコンデルタで迎えた。土地柄、食料は豊富で、加えて紳士的な英軍の支配下で優雅なh慮生活が続いた。だから、敗戦の厳しさ
が現実のものとなったのは21年6月、2年ぶりに本土の土を踏んでからである。
・ 帰国まもなく、叔父の勧めもあって、神戸銀行(三井住友)に入行、兵庫支店認定係として赴任したが、いきなり修羅場に放り
出された。その年10月に金融緊急措置令が出て預金が封鎖され、「なんで自分の預金が意のままにならんのか」と預金者のいら立ちが
つのり、鉄の棒を持ち込んで振り回さんばかりに威嚇する者もいて、足がすくんだ。
・ 銀行窓口を混乱に陥れたこの金融政策は、旧円の流通禁止に始まった。旧円の預金は一切封鎖され、手持ちの紙幣は1人100円を
限って新円と交換するという方法が強いられた。医療費、株式購入、材料費など、ごく限られた範囲で、しかも「購入証明書」を提示し
てはじめて使えるという厳しい制限加えられ、一方、新円の方も、1所帯あたり、500円+家族1人あたり100円までしか支給が
認められなかった。例外として、冠婚葬祭費、授業料などがワク外、また、回収しきれなかった旧円札には流通許可を明示した証紙が
張られていたが、この証紙発行業務も銀行側が取り仕切っていた。窓口ではこうした金の出納にいちいち証明書を点検、基準に合って
いるかどうかを確かめなければならない。終戦後百数十倍にはねあがった消費物資も、出た当時はなんとか手に入れようと殺気立つ
市民を前に、複雑な認定事務をこなす。預金者のいら立つ気持ちが痛いほど伝わってくる。身をもって銀行の公的責任を知ることに
なる。
・ その後、東京駐在として首都圏に目を配ったが、同期の和田勇(56)が山陽特殊製鋼常務になり去った後は生え抜きとしては
最古参となり唯一の現役として長期不況下、商社のトップの県商卒業生ともども、企業の社会的責任をかみしめながら経済界の第一線で
身を張った。 |