
令和7年8月15日 戦後80年 (昭和百年)

会員展示館
令和7年8月15日 戦後80年 (昭和百年)
(母校140年) 戦争敗戦から平和へ 
先の戦争敗戦から80年が経過し平和な時代ですが当時の生存体験者は高齢で僅かになり本稿も後世への記録として記します
昭和16年(1941)12月8日太平洋戦争勃発、当時小学校は国民学校に改称、全国の商業学校は工業学校に変更、兵庫県は本校と姫路の2校のみ存続となりました
17年4月県商入学しますが夏は白、冬は黒の学生服が国防色(緑)の粗悪な軍服風に学生帽も戦闘帽になり教育の内容も軍から配属将校が派遣され教練が主体になりました
昭和19年6月には戦況の逼迫で国家総動員法により学徒動員が決まり学業を止めて軍需工場に派遣され休日は月2日、正月も休まず働きました
白亜の校舎は海軍の経理学校が疎開使用し黒く塗装されてました
1月19日西明石の動員先の工場は航空機の生産工場で関西で最初にB29の空爆を受け全壊しました 学生は地下壕に避難して助かり次回から明石公園に避難することになりました6月9日明石公園が爆撃を受け多勢の男女学生か悲惨な犠牲となりました
今回の戦争で多くの都市が焦土と化し310万人もの尊い命が亡くなりました
戦争だけはしてはいけません されてもいけません 平和の誓いです
(参照 母校ホームページ歴史 歴史資料室 単行本「日輪昇る」)

67回生 宝官 進一郎